序文
目次
サトゥク(イラクサの仲間)
【序文】
草を楽しむと書いて「薬」という漢字ができました。
まずは草からはじめませんか。
信州の薬店で働いていた二十六、七歳の頃、こんなキャッチフレーズとともに季刊誌『草楽(そうらく)』を発行していた。そして二十八歳になった僕は、さらなる「草を楽しむ」ステージを求めて日本を飛び出し、チベット医学を目指した。十年後にチベット医として認められ、四十五歳となったいまも「草を楽しむ」思いはまったく色あせていない。
一九九九年の初春、「チベット医学暦法大学(メンツィカン)」があるインド北部の街ダラムサラには真っ赤なヒマラヤシャクナゲが咲きはじめた。僕は覚えたてのチベット語で「この花のチベット名は何ですか」と友人に尋ねると、素っ気ない表情で「メト・マルポ」と答えが返ってきた。「そうか、メト・マルポというのか」と記念すべきヒマラヤの薬草第一号の名を感動しながら復唱したが、今なら「メト(花)マルポ(赤)、赤い花だよ」の答えに感動した、と笑い話にしかならない。しかし、名前を知らなくても「赤くて美しい花だね」と一緒に感動するだけで、まずは十分である*。
ヒマラヤの草木は、チベットの人々と深い関わりのなかに息づいている。そして、人々との関わりがあってはじめて名前が生まれ、薬になるものは薬草として認識される。チベットでは(おそらく多くの前近代社会でも)西欧のように草木の形態による分類・命名を行わない。つまり、すべての草木に名前を一方的に与えるのではなく、見つけて、聴いて、嗅いで、舐めて、触って、そして生活に取り入れるという「人と草との関わり」があってはじめて、草木に名前がつけられる。したがって、たとえそれが外国人にとって珍しい草木であっても、チベット人たちの普段の生活に関わりがなければ名前がないことが多い。「そうか、すべての草木に名前があるとは限らないんだ」。この禅問答のような気づきは、机上の知識だけでいっぱいになっていた僕の頭をきれいにリセットしてくれたような気がしている。
それを僕に気づかせてくれたあの赤い花の名前は、僕にとってはいつまでもメト・マルポであり、その花が満開になる季節が巡ってくるたびに、チベット医学を学びはじめたころの初心に帰ることができた。
草木と人々は「薬・くすり」というキーワードをとおして、どう楽しみ、どう関わっていけるのか。これが本書のテーマである。物語の主役はヒマラヤの薬草たち。舞台は世界最高峰のヒマラヤ山脈。脇役で盛り上げるのはチベット医学を受け継ぐアムチやヒマラヤで暮らす人々。そして、物語の語り部は日本の薬剤師でありチベット医の小川康、この僕である。
まずは語り部である自分自身が初心に帰ったところで、いよいよ、いよいよみなさんをヒマラヤの薬草を巡る旅へとご案内したい。